断られるのが怖くて誘えない。
「断られるのがいやで、誘えないんです」
こういう話を耳にしました。
私は、話をしていて、しばらく「???」が続きました。
最初、その子は「私、人見知りなんです」と切り出してきて
あんまり人と話さないんですよ〜
といいながら、初対面の私とものすごくおしゃべりをしていました。
私は、人見知りって言ってるけど
この人、人見知りじゃないよな〜って思ってまして
そのことを伝えてみましたら
その子は「???」で固まっていました。
いろいろと聞いていることと、目にしていることに
差異がありすぎて、私の癖でもありますが
情報を整理したくなりました。
要するに、自分からは話しかけたくないが
話しかけてもらえれば、フレンドリーに接する。
という感じでした。
これって人見知りなのかしら??
単なる引っ込み思案なんじゃないかしら?
とおもったり。。。
その後こういう質問もしました。
わたし、衝撃を受けました。
断られるのが嫌だから、さそわない・・・。
こんな考え方の人がいるんだ。ということに。。。
いや、もしかしたらポピュラーなのかもしれない。
私が変なのかもしれない。
しばらく頭の中をぐるぐるさせていたのですが、
質問を続けることにしました。
断られると悲しいから誘わなかったA子ちゃん。
A子ちゃんの中で、断られることは嫌われ者であると烙印を押されることとつながっていて
相手の選択の自由とは捉えたなかったようです。
しかも、私がせっかく誘ったのに、勇気出して誘ったのに、
人見知りの私が誘ったのに感がすごくて相手への尊重や配慮が内容にも感じました。
嫌われるとか
断られるとか
相手優位のような印象も受けますが
これって実は全然相手優位でも
相手の価値観に振り回されてるわけでも、都合に振り回されてるわけでもありません。
相手がただ自分の都合で断っているだけで
自分となんの関係もないのです。
一見自分の価値が下がるような、自分が嫌われ者であったり、
邪魔者のようなイメージとつながってしまいがちですけど
全然違います。
人参はちびっこにたくさん嫌われてますけど、
人参は人参であることをやめません。
人参は自分が人参であることをしっかり全うしています。
その上で、ちびっこが嫌いと言ったとしても
それには全く影響を受けないのです。
だから、あなたがたとえ、誘って断られたとしても
嫌われたとしても、相手がただそうなだけで、
あなた自身の存在価値とは全く関係がありません。
ですが、私はもう少しこの先を問いたいです。
なぜ相手は嫌っているのか?
を知ることはとても大事だと思っています。
事実として、自分を客観的に見るために、
そういう側面もあるんだということを理解することで
社会性を身に付けることができると思っています。
いじけるのではなく、拗ねるのではなく
排他的になるのではなく、怒るのではなく
絶望的になるのではなく。
あ〜私の側面に対してそういう印象を受ける人もいるんだな。
だったら、私はどうしよう。が大事です。
自分がそれを嫌だなと思ったのなら、改めればいいし
誰かが言ったから、ではなく、自分がやめよう、直そうと思ったからと
自分主体で動ければ良いと思っています。
断られたら嫌だから誘わないは、
とっても他人軸で、他人主体で動いている
考え方だよな〜って思ったのです。
他人の都合に振り回されず
自分が自分を生きるようになりましょうよ。