「お誕生日おめでとう〜遅くなってごめんね」についての考察

「お誕生日おめでとう〜遅くなってごめんね」

先日宇宙のへそ通信(ライン@)で配信した内容です。

SNSの普及によって今まで知らなかった他人の誕生日が
目に入るようになって、それに伴って浮上してきた「無意識言葉」の
一つかな、と私は思っているのですが。。。

 

ごめんね。は明らかに何かに対して謝罪しているが
何に対してなのか?が人それぞれだな、と思ったので
あなただったらどう思う?と投げかけて見た所
実に様々な意見が寄せられたのでシェアさせていただくことにします。

 

大きく分けて4パターンのごめんね に振り分けられました。
ご意見をくださった方々、ありがとうございます。

 

パターン1
相手には覚えてもらっていたのに、私は忘れてしまった
やっちまったぜのごめんね(自分への戒め)※比較的関係性濃ゆ目
パターン2
誕生日はその日に祝うというルールから逸脱してしまった
完全なる罪悪感からくるごめんね(相手への謝罪)
パターン3
SNS上でみんながおめでとうってリアルタイムで言っているのに
自分だけが出遅れてしまい、気まずさと周りから何も思われない為の
防御線のごめんね
パターン4
私以外の人が謝っているのをみて、あ、謝るのかと何も考えずに
つられていってしまう完全無意識のごめんね

 

いかがでしょうか?

 

あ〜そうかも。
えーそんなことあるんだ!

 

新たな発見があったかと思います。

 

このごめんねは、関係性によっても「言う人」と「言わない人」も
でてくるのではないだろうか?
とも考えました。

 

例えば家族やパートナー。誕生日を当然知っていて
これまではなんども当日にお祝いしていたのに、
なぜだか忘れてしまったの「忘れた」と

 

全然関係性が薄いのに
SNS上で見かけた誕生日に対して
お祝いをいうのを「忘れた」こととでは
全く意味合いが異なりますよね???

 

私的には前者の場合はもちろん「ごめんね」をいう確率は上がりますが
後者の場合はもしその日にいう機会がなかった場合は
「言わない」を選択します。

 

私が違和感を感じたのは
この、前者と後者をごちゃ混ぜにしている感です。

 

言葉はいろんな前提や自分の無意識から
発動することが主です。

 

その言葉からその人が何を思っているか、
どんなルールがあるのか、
どんな信念があるのかなど、
読み解くことができます。

 

コミュニケーションを大切にしたいのならば
人間関係を円滑にしたいのならば
目の前の相手が自分にとってどんな存在なのか?
どういう関係性なのか?
距離感は?

それを踏まえて、いう言葉、言わない言葉。

目に見えないものほど
大切にしていく必要があるのでは?と
私は考えています。

 

でももしごめんね、を伝えたい
この気持ちを相手に伝えたいとすれば。。。
こういうのはどうでしょうか?

 

私の誕生日は覚えてもらっていて
私も絶対当日になったらおめでとうっていう気満々だったのに
忘れてしまっていて、とてつもなく自分に対して
残念な気持ちと申し訳ない気持ちでいっぱいよ。
1日遅れたけれど、お誕生日おめでとう。
※(自分の気持ちのことで、相手は関係ないので、被害者加害者は存在しない、したがって謝罪言葉は必要なし)

 

この「ごめんね」には、きっとこういう意味が
含まれているのかな。とも思いました。