自分なんて、って思ってるのになんでか他人に腹がたつことへの考察

会社でも、学校でも、お家でも、町内会でも、
ママ友でも、仕事関係でも、思ったことありませんか?

「ちゃんとやってよ!」
「なんでこんなこともできないの?」

このことについて、今日は
考察していきたいと思います。

 

私は底辺でいる事を望んでいました。
幼い頃から、学生時代も、社会人も。
一番下っ端にいる事を望んでいたようです。

 

実際に勉強をしないとかそういうことではないんです。
自分より勉強ができる子、要領のいい子、
頭のいい子、可愛い子。
自分よりできる子と一緒にいることを選択していました。

 

そんな事、当時は気づきもしませんでしたが。。。

 

下っ端にいる事で、さらに学ぼうとしていたり、がんばろうとしたり
人を尊敬したり、敬ったり、謙虚でいられたり…
と、とても良い事だらけでしたが、
その代償として、私は出来ない、私はポンコツ
など劣等感もべったり。。。

 

そのデメリットよりも、メリットの方が圧倒的に
勝っていたので、この方法をずっと選択していた訳ですけれど
今になって、自分がポンコツであることを卒業したい私と
ポンコツのままでいたい私とが
ものすごい攻防戦に。

 

自分がポンコツで、底辺なはずなのに、なんでか
周りの人がやらかしていく。

 

「ちゃんとしてよ!」

なんで下っ端でいさせてくれないの?
なんで、ドジ踏むのさ。
なんで、やらかすの?
なんで、出来ない事を平気で見せちゃうのさ。

 

心の奥底にいた感情は、
がっかり感、残念感、失望感。

 

私が一番底辺で、ポンコツなはずなのに
なんで私が他の人のポンコツ具合に気づくのさ。
ありえんでしょ、ちゃんとやってよ!

 

私の怒りは自分を一番下でいさせてくれないことからの
超勝手なわがままな怒りです。

そこを掘り下げると、
底辺でいないと、自分が動かなきゃならない
責任を取らないといけない、
目立つ、叩かれる、嫌われる、失敗する。

 

こんなことがわんさか。

 

怖いから、自分の使命を歩くのが怖いから
不安で前を歩きたくないから、
ポンコツでいようとしただけ。

 

自分なんて、って卑下したいけど
ポンコツでいたほうが都合がいいから
ポンコツでいるけど、ほんとはプライドの塊。

 

その不安定感が
怒りとして噴出していたのだと思います。

 

自分がポンコツなら、
誰がポンコツでも全然構わないはず。

 

でも嘘ポンコツだから、
自分のポンコツが薄らぐから
他人に対して怒りを感じる。

 

要するに自分に対して嘘をついている
ってことだったんですね。

 

怒りは、他人に対してあるようになるけど
実は自分の中にあるんですね〜
という気づきでした。