起業家なら「無礼」が何かを学ぼう

そもそも無礼ってなんですか?
ってところから話をせねば
ならないかもしれない。

 

無礼は
これ、と言った定義はない。
ところ変わって、人が変わったら
全てが変わる。

 

日本では残さず食べることが
よし、とされているが
中国に行くと
少し残すことがよしとされている。

 

こんな風に育った環境も
当たり前も違うと「無礼」がなんなのか?
が人によって異なる。

 

だから自分の当たり前は
ほぼ「無礼」だと思っていい。

 

かといって、
色々行動を制限するとか
失敗や無礼を恐れて何も行動しない
とかはもう愚か者の何者でもない。
(と私は思っている)

 

当たり前は自分ではわからない。
誰かの当たり前がないと
自分の当たり前にさえも気づかない。

 

お友達の家に遊びに行って
自分の家のルールをちがって
びっくりしたことはないだろうか?

 

そんな感じで
自分の「無礼」も
相手にしたら「大したことない」
かもしれない。

 

けれど、社会に出ると
社会性と言うものが必要になる。

 

この社会性は
ある程度すり合わせが
されていて「無礼」においても
だいたいの見解は揃っている。

 

借りたものは返す。とか
お礼を言う、謝罪するとか
時間に遅れないとか
騙さないとか。

 

常識と言われているものから
仕事や状況によっては
色々とまた無礼も
種類が増えていく。

 

だから知らないうちに
無礼を働いていることは多々ある。

 

ここで私が一番伝えたいのは
自分が何もしてない。
問題ないと思わないことだ。

 

自分が無礼を働いているとしたら?
で物事を見てほしい。

 

一番タチが悪いのは
自分が人畜無害で
誰にも迷惑をかけずに生きている
と思い込んでいる人だ。

 

散々世話になっておきながら
自分のことに
いっぱいいっぱいのひとは
人からの好意も、善意も
全く気づかない。

 

そして
自分は不幸だ、なんて平気で言う。

 

仕事においても
知らずに物品を横領したり
無礼を働いたり

 

全て無知が招いていることだと
言っても過言ではないかもしれない。

 

無知な人とはたいてい
学ぶことをしてない
新しいことをするのを嫌がる。

 

勉強も、学びも
自分のためにすると思っている。

 

学生のうちは自分のためかもしれない。
でも社会人になると
勉強や学びも人のために行うのだ。

 

無知は本当に社会において
困るし、一緒に仕事ができない。

 

起業家においては
自分のお金コンプレックスで
金額設定をおかしくしたりして
市場を混乱させたりもする。

 

人のお客を勝手にとって
マーケットを荒らしたりもする。

 

自分の不安を解消するために
平気で人の時間や能力を奪う。

 

できないことでも、
やりたいからと言って手を出して
ぐちゃぐちゃにして跡を濁したりする。

 

言葉を知らず誤解を招くような
ことを平気で言ったりする。

 

本当に知らず知らずに無礼を
働いていると思った方がいい。

 

そしてこう言う
知らず知らずに無礼を
働いている人は
信頼も信用も失う。
と言うか最初から得られない。

 

起業家になったなら
常にこの「無礼」や
「あたりまえ」について
学んだ方がいい。

 

しかし、これは
新しい視点で物事を見ることが
できなければとても難しい。

 

発想力やひらめきとも
いう。

 

私はこれをとても大切にしている

 

だから隔月で「ひらめくランチ会」を
開催している。
起業家で自分がもしかしたら
自分の当たり前に
ガチガチで縛られているかもしれない。

 

新しい世界を拒んでいるかもしれない。

 

そう思う方は
ぜひいらしてください。

ひらめくランチ会 その2 5月20日開催